無題

随分放置してたけど、例のごとく頭の中がうるさくて寝れないので書きます。

 

今日ふと思い出したことがことがあった。私は今まで生きてきて続いたことや自分のものになったことがなかった。ずっと無気力に、そのときどきで面白いと思ったものを摂取してはやめ、刹那的な快楽だけ求めて生きてきた自覚がある。という話をした。

 

それは小学校低学年の頃、私はピアノを習っていて、ちゃんと家にも練習できるように電子ピアノがあった。多分ピアノについては、というより私がしてきた習い事の全ては、親によるすすめではなく、例のごとく「みんながやってるから」習わせてくれとせがんで習っていたものだ。

 

当時から簡単な楽譜を読んで演奏するぐらいならできた。難しい譜面を演奏できることに憧れくらいはあったが、極めようとかそんな気には全くならなかった。そればかりか、週に一度のレッスンに行くのをめんどくさがり、課された宿題にはとうとう一度も手をつけることはなかった。

 

その頃は同時期にいくつも習い事をしていたとはいえ、ここまで完全に宿題などやる気が無かった生徒は自分だけではないだろうか。漠然と、うっすらと上達したいという意識くらいはあっただろうが、それには努力が必要ということさえ、理解していなかったと思う。ただ、そのことを当時の自分が知っていたとしても、努力していたかと問われると分からない。とても楽しくてのめり込んだかもしれないし、きっとまた、「ここまでやっても駄目だったのだから、自分には向いていない。才能がない。」と自分の限界を推し量り、それに対する情熱は無くなっていただろう。

(ちなみに、、発表会には一回だけ出た。緊張で震えすぎてノーミスで完璧には弾けなかったけど、それなりに形になったものは完成できた。発表会自体は、大勢の人に見られて目立つのがとても怖くて嫌だった。)

 

小1の時。漢字や算数の宿題が出た。私はめんどくさくて宿題をやらなかったが、担任の先生に怒られることはなかった。何も言われなかったので、宿題は別にやらなくても良いものなのだと認識した。

 

そして、まだ小2に進級して1日経ったか経ってないぐらいのすぐ。また宿題が出た。私は当たり前のように出さなかった。すると、提出していなかった者がチェックされ、しばらくして私ともう1人の名前が呼ばれた。「何故出せなかったのか」と問われ、「忘れたなら明日出して」、と言われた。私は強制されることに不快感を感じたが、怒られるのが嫌だったので仕方なく毎回出し続けた。

 

そしてそれからしばらくが過ぎて、三者面談の日になった。面談では、私が真面目に提出物を出していることを褒められたのでこう言った。「出さないと怒られるから出してるだけ。」先生も、母も、少し困惑したような様子で笑っていたように思うが、結果的には「提出物をきちんと出す」ことができていたためか何もお咎めはなかった。

 

この出来事は自分の中で強く印象に残っている。幼かった頃のあの一言が、今でも私の根幹を司るものではないのだろうか。人生を、やりたくないのにやらされている。やる気がないと怒られる。怒られたくないから何かをやる。私は常にそうだ。誰からも怒られなければ、やりたくなければ何もしないしやりたかったら何かをするだろう。

 

物心ついた頃からずっとそうだった。何で勉強しないといけないんだろう。別になりたいものもないのに。働きたくないのに。歴史や学問を学ぶことは大事だ、それはわかる。だが、それは何で?将来、給料をたくさんもらうためか?裕福になるためか?その為に生きているのか?自分には全く関係のないことのように思えた。

 

その頃から私はアニメオタクで、漫画家やイラストレーターや声優みたいな職業になんとなく憧れてた。でも目指したことがある人とか、それ以外でも誰だっていつからかわかると思う。誰もがその職業に就けるわけじゃないんだ、と。

 

私は絵を描くのが好きで、pixivや他のSNSで絵を描いてはアップしていた。こえ部のようなサイトで、声優や歌い手ごっこで演技をしたり歌を歌ってアップしていた。それは自己満で楽しかった。だが、そのどれもが人の目につくようなものはない、ごくありふれたものだった。才能があっても報われない世界で、周りに自分より若くて才能のある人間たちを見続けてなお、常に情熱を持って取り組めるような胆力はなかった。

 

一方、普通に就活すれば、自分の市場価値とかを分かっていれば、一部を除いて就職できないことは無いことが多い。

 

私はそういった職業を諦め、就職を選んだ。べつにやりたく無いことをやらされ続ける人生を。(今は解放されたけどね…)

 

良い大学に行き、良い会社に行き、結婚、出産する、漠然と、それが良い人生なのだと思っていた。だが、私にとっては違った。私は、もうごめんだと思った。やりたくないことを、叱責されてまで強制される人生は。そんな人生は私にとっては無価値だから、数え切れないくらい死にたくなった。死にたくない日がなかったくらいだ。私は好きな時に好きなことをするし、やりたくないことはやらない。今の環境が恵まれてるっていうのは、本当に痛いほど実感する。しかし、それは自分が何かに恵まれてなかった、と思うこともたくさんあったから。でも、私だってこの人生を手に入れる為に、たくさんの代償を払ってきた。いろんなことや経験があった。親のことを、何度失望させたかわからない。恩を仇で返した。その経験があったからこそという要素もある。本当に手に入るとは思っていなかったけど、今私はこの環境を与えてもらってとても幸せだ。周りにはとても感謝している。

 

結局、脱線して何が言いたかったのだろう。ただの日記だね。私は何かを続けたりものにすることができなかったし、人生をやらされてただけだったけど、今は理想の生活をできてるし、生きる意味も与えてもらったって話っす。私は本当に幸せものだ。だけどそれがいつまで続くかはわからないから、その時が来るまでは毎日を大事に生きたいと思う。(クッサ)それじゃーね。長くなり過ぎた。ここまで読んだアンタはあたいのファンってことね。おつかれ、あしたもがんばろ〜〜眠いヨ〜〜。